2.おしゃれって何?
音楽好きな両親の影響で
前回の記事で、既存のおしゃれの理論は「おしゃれ」を定義していない、と書きました。
定義しないとおしゃれになれないのでしょうか。
それは、おしゃれは人それぞれ捉え方の異なるもので、人の評価があって初めて成り立つものなので、その理論がどんなおしゃれについて言及しているのか明確でなければ、評価されることもないからです。
○原宿のおしゃれと大学のおしゃれ
私が初めておしゃれの定義について考えたのは、上京してすぐの頃でした。
当時(2006年頃)は、DIOR HOMMEの流行により、タイトなスタイルが人気でした。
原宿の街の人のタイトなスタイルは、ルーズなスタイルしか知らなかった自分には新鮮に写りました。
私はすぐにタイトなデニムとジャケットを買い、買ったばかりの服を着て、おしゃれになったつもりで大学に行きました。
しかし、大学でそのスタイルは酷評されます。「細すぎ」「マッチ棒みたい」散々な言われ様でした。
(確かに今考えると似合っていない変な格好をしていたと思います。笑 ただ、ここではスタイルの方向性に問題があったということにします)
当時私が通っていた大学では、原宿で人気のあったタイトなスタイルとは逆のルーズなスタイルが人気でした。
大学名の入ったサテンジャンパー、スウェットパンツにティンバーランドのブーツを合わせることが最高のおしゃれだとされていました。
大学の人たちは、原宿の人たちとは違うおしゃれ観を持っていました。
大学の人たちにとって、タイトなスタイルは、自分たちの方向性とあまりにも違い過ぎて理解し難いものだったかもしれません。
○国や地域、年代、価値観等によって異なるおしゃれの形
私はこれをきっかけに、おしゃれとは何かについて知るべく、世界のおしゃれとその歴史について調べました。
これらの写真は、いずれもそれぞれの国や地域、時代等でおしゃれだとされているものですが、一言でおしゃれと言っても、その中身は全く異なることがわかります。
また、上記の大学の例のように、同じ地域、時代でも人によって全く別の捉え方があります。
このように、おしゃれは多様であることから、絶対的なおしゃれは存在しないと考えました。
そのため、「どんなおしゃれをするのか」自分にとってのおしゃれを定義する必要があります。
しかし、このように多様なおしゃれにも共通点はあります。
それは人の評価があって初めて成り立つものであることです。
○おしゃれかどうか判断するのは自分ではない
おしゃれの辞書的な意味は“服装や化粧などを洗練したものにしようと気を配ること。洗練されていること。また、そのさまや、その人”です。
これには”~にしようと気を配ること”という主観的な意味も含まれていますが、実際の言葉の使われ方を見ると、「(主観的に)服装や化粧などを洗練したものにしようと気を配っている」ことについておしゃれという言葉を使うことは少なく、人の評価ありきで「(気を配った結果)洗練されている」ことの意味で使われることの方が多いです。
つまり多くの場合、人に評価されないものをおしゃれとは言わないということです。
そのため、自分にとってのおしゃれの定義するにあたっては、人の評価、特に「誰に評価されるか」を意識しなければなりません。
○当たり前のようで欠けている、おしゃれの定義と人の評価に対する意識
今回のエントリーの内容を当然のことだと感じる人も多いと思います。しかし、一方でこれが欠けているがために、おしゃれに悩む人が多くいるのも事実です。
・買うつもりのなかった服を定員に勧められ、つい買ってしまったが、結局着ないままになっている。
・よく選んで気に入って買った服なのに、周りからの評判が悪かった。
・買った服を着ていく場所がない。
これらは、おしゃれに関する失敗談としてよく挙がるものですが、定義と人の評価を意識していれば起こらないことだと思います。ちなみにアメリカの雑誌の調査によると、女性は持っている服の75%はほとんど着ていないそうです。
次回のエントリーでは、自分にとってのおしゃれをどのように定義するかについてです。